8年前の今日 父があの世へ旅立った
命日恒例、私の朝の珈琲と一緒に父が好きだった濃いめのブラック珈琲も淹れて「もう8年も経ったんか。早い早いと思えども、色んなことがあったなー。。」と、ボンヤリ考える。
去年は旦那の仕事で南島の僻地、オマラマに居た。
2年前は一時帰国を七回忌に合わせたんで、日本の実家に居た。
3年前は私がNZに来てすぐのことだったんで、シティのど真ん中のアパートメントに居た。
もしも、あのとき、、、、
と、この日になると思う。
「もしもあのとき、父があの世に旅立っていなかったら??」
今の私はNZには居ないであろうし、そうなると旦那とも出会っていないので全く違う人生を歩んでいただろうと思う。大阪から実家へ会社を引き継ぐ為に引っ越すことも無かっただろうから、実家の倉敷にも帰ってないし、そうなると、現在家族と日本で暮らす我が犬も飼い始めておらんから、犬の競技会やら何やら繋がりの愉快な仲間とも出会っておらんことになる。大阪におったらおったで人の多いところだから色んな出会いがあっただろうけど、今ある繋がりは私にとって、何にも変えられないかけがえのないもの。
「もしも。。。」を考えるのは好きではないのだけど、、、、
父の命日だけは、毎回同じようなことと分かってはいても、思わずにはいられない。
結構な荒波を越えて来たような気がするけど、波は次第に変化するもんで、今は穏やかな大海原を、先に何があるか分からない地平線目指して帆を張ってる感じ。
いつの日か夢に見る地に降り立って、自分の基地を作り、仲間と家族でワイワイやるのが私の「ワンピース」なのであるが、、、指標も天候も、いつもコロコロ変わるものだと思っているので、先の事はそんなに深く考えず今自分に今できる最善策を尽くせるよう「甲板」という名の「自分の土俵」で、コソッと頑張るのみである。
船酔い、めっちゃ激しいねんけどな。
そんな今の夢も、家族も、コレから家族になる人も、友だちも、仕事も、今ある自分も、それはすべて父が残してくれたものだと思うことが一番の供養になるんじゃないか?と思いつつ珈琲をススるのであります。
珈琲は黙ってMOCCONAやー。